「スウェーデンはなぜ大国になれなかったか」

長い上にうざい解説も入ってます。青字は教科書レベル。













スウェーデン・ヴァーサ王朝
  …1523-1654まで続いた王朝。(7代目クリスティーナで断絶)
  カール10世以後はヴァーサ朝じゃないけど、血筋ではある。

グスタフ・ヴァーサ
  …位1523 ここからスウェーデンは輝くんだけど、日本の知名度低すぎ。
グスタフ2世アドルフ
  …位1611 三十年戦争他で活躍し、バルト帝国時代を創り上げた。
クリスティーナ
  …位1632 宰相オクセンシェルナがバルト帝国を安定させた。
カール11世
  …位1660 絶対君主制をひいたり、内政は頑張った。外交はいまいち。
カール12世
  …位1697 大北方戦争で奮闘したけど、彼でバルト帝国時代は終了。








ヴァイキング
  …8-11世紀ぐらいまでスカンディナヴィア半島を支配してたノルマン人たち。
  「=海賊」に使われやすいけど、海賊だけを指すわけじゃないよ。
  北フランスにノルマンディー公国、イギリスにノルマン朝、ロシアにノウゴロド国→キエフ公国を建てた。
  その辺の時代で現地に居ついて同化したから、ヴァイキング時代終了ってことみたい。

ビルイェル・ヤール
  …立法・通商・刑法に力を注いだスウェーデン摂政。ストックホルムを発展させた。
  スウェーデンが国として統一されたのはこの辺の時代。(1200年頃)






ハンザ同盟
  …バルト海は北ドイツが仕切るぜぁぁ!時には軍事同盟にもなるぜぁぁ!

カルマル同盟
  …まずデンマーク女王マルグレーテ1世がノルウェーの同君連合を組んだ。
  その後スウェーデン王位を奪い、1397年めでたく三国同君になったよ☆
  それ略奪じゃ…。え、本人が同盟って言ってんだから同盟?ふぅん。















リヴォニア戦争
  …1558-1583年の、ロシア 対 ポーランド・スウェーデン戦争。
  この戦乱+イヴァン四世の死亡により、ロシア大動乱が起きてロシア涙目。
  ロシアはノヴゴロド王位を奪われたけど、ミハイル・ロマノフが取り戻したよ。

バルト帝国
  …スウェーデンは、@ロシアから王位放棄の代償にカレニア、イングリアをもらって、
  Aポーランドとの戦争の結果、アルトマルクの和議でリガを奪って、
  B三十年戦争ウエストファリア条約で、ドイツのバルト海沿岸都市をもらって、
  Cトルステンソン戦争でデンマークから領土と制海権を奪って、バルト海ゲットだぜ。







カール10世
  …位1654 彼のおかげで、スウェーデンは史上最大の領土を獲得。

ポーランド・スウェーデン戦争
  …カール10世がポーランドに侵攻したら、ポーランドとロシアが組んじゃった!
  でもワルシャワの戦いで、ポーランド・ロシア連合軍に勝利。やるぅ。

カール・グスタフ戦争
  …寒波により海が凍ってたので、デンマークに氷上進軍、コペンハーゲン制圧だー!








スコーネ戦争
  …1675-1679年のデンマーク 対 スウェーデン戦争。
  スウェーデンの海軍が弱かったので喧嘩売られたが、カール11世が出陣して勝利。

ファルツ戦争
  …1688-1697年のフランス(ルイ14世時代) 対 アウグスブルク同盟の戦争。
  オーストリア・ドイツ・スペイン・オランダ・スウェーデンが、当時最強を誇る仏をフルボッコにしようとした。
  結果は、フルボッコではないにしても、東インド会社失わせたり、仏に打撃は与えた。
  レイスウェイク条約で和解したが、そのときはカール12世の治世になっていた。















大北方戦争
  …1700-1721年のスウェーデン(途中から+オスマン) 対 ロシア・デンマーク・ポーランドの戦争。
  ナルヴァの戦いではスウェーデン(カール12世)に大敗したロシアだったが、ピョートル1世
  西欧化政策が功を奏して、1709年ポルタヴァの戦いで勝利し、念願のバルト海進出を果たす。
  ちなみにスウェーデンとオスマン帝国は組んだけど、喧嘩別れって感じだ。


























ほとんどイメージで書いたスウェーデン史です。ごめんね。