タタールのくびき
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バトゥ 1207-1256|位:1225
チンギスの長男ジュチの子。オゴタイ・ハーンに命じられ西征。
具体的には東欧を攻撃し、ロシアとキプチャク(南ロシア)を支配した。
三代目のグユク・ハーンとは不仲で、その没後、モンケ・ハーンを推戴した。
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ベルケ ?-1266|位:1257
兄バトゥの子が早逝したのでキプチャク・ハン国を継いだ。
イスラム教徒で、マムルーク朝のバイバルスと組んでイル・ハン国のフレグと対立。
よくネフスキーが反乱を詫びに、首都サライに来る。
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モンケ 1209-1259|位:1251
チンギスの四男トルイの子で、チンギスから数えて4代目ハーン。
伯父のオゴタイから養子にされるほど気に入られ、後継者候補だった。
バトゥの上司に当たる。
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ドレゲネ 1209-1259|位:1251
チンギスの三男オゴタイ・ハーンの嫁で、グユク・ハーンの母。
オゴタイはモンケを後継者に考えていたが、根回ししてグユクを即位させた。
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アレクサンドル・ネフスキー 1220-1263|位:1236,52
36年ノヴゴロド公、48年キエフ大公、52年ウラジーミル大公に。
スウェーデン・ドイツ騎士団を破った英雄だけど、モンゴルの犬。
子孫がモスクワ大公になり、イヴァン3世でタタールのくびきを脱した。
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ヘンリク2世 1196?ー1241|位:1238
ピャスト朝ポーランド大公。
ピャスト家は神聖ローマ皇帝にポーランドを委ねられた諸侯。
活躍が期待されたけどワールシュタットの戦いに敗れて戦死。
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ベーラ4世 1206-1270|位:1235
アールパード朝ハンガリー王。
クマン人の協力で王権拡張しようとしたら国民にもクマン人にも嫌われた。
モンゴルに敗北後に覚醒して、ハンガリーを建て直した。
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