●主な登場人物●

青字は教科書レベル。

第六回十字軍
第七回十字軍
模範議会
カイドゥの乱
アンカラの戦い
マムルーク朝
カルマル同盟
李氏朝鮮
靖難の変
土木の変
ビザンツ滅亡
レコンキスタ 下
ムガル帝国1
ムガル帝国2
宗教改革
オスマン最盛









第六回十字軍


フリードリヒ2世  1194-1250
 第六回十字軍でスルタンと和平し、教皇と争い続けた神聖ローマ皇帝。
 キリスト君主として軸がブレている。
 いいから知識をよこせ!!!!


イサベル2世  1212-1228
 エルサレム王の娘ってことでフリードリヒ2世に目を付けられた。
 実は13歳で結婚し、16歳で亡くなったロリなエルサレム女王。



インノケンティウス3世  1160-1216
 絶頂期のローマ教皇。得意技は必殺破門。
 皇帝は月で教皇が太陽、とか言ってたけど、割かし常識人。



グレゴリウス9世  1143-1241
 わしが正義!なローマ教皇。得意技は必殺異端審問。
 目を背けたくなるようなヒドイ拷問をたくさんしましたよ。
 一番異端審問したいのはフリードリヒ2世。


ルイ9世  1214-1270
 みんな大好きフランス王。列聖されてる!
 第七、八回十字軍でワイルドなやられっぷりを披露してくれました。



アル・カーミル  1180-1238
 アイユーブ朝カリフ。アル・アーディルの息子、サラディンの甥。
 第五回十字軍を破り、第六回十字軍と和平した。
 フリードリヒ2世と仲良くして、イスラム教徒から嫌われた…。










第七回十字軍


バイバルス  1223-1277|位:1260
 奴隷出身でマムルーク朝のスルタンにまで登りつめた。
 5代目スルタンですが、マムルーク朝の基礎を作ったのはこの人。
 隻眼でヒゲでマッチョな騎馬民族…実はロシア系 金髪碧眼 です。


カラーウーン  1221-1290|位:1279
 バイバルスとは同郷出身のマムルーク。
 アルフィー(千金)というあだ名を持つ。ちなみにカラーウーンはアヒルの意味。
 初期マムルーク朝は彼の子孫が継いだ=勝ち組。


シャジャルッドゥル  ?-1257|位:1250
 史上初の女スルタン! え?奴隷王朝にもそんなのいた?あっちの方が女傑?
 いいじゃないのこの人も萌えるよ、とくに最期が。
 カリフの奴隷→スルタンの后→女スルタン→木靴でたたき殺される


ムスタアスィム  1212-1258|位:1242
 わがはいはカリフである とにかくえらい りゆうはとくにない
 モンゴルが来たときは抵抗しちゃダメなのに抵抗したから、アッバース朝は滅亡。
 とりあえずフレグの顔は1000年は見たくない。


フレグ  1218-1265|位:1260
 暗殺教団とアッバース朝を壊滅させ、イル・ハン朝を建てたチンギス・ハンの孫。
 暗殺教団というとどっかの組織みたいですが、シーア派国です、土地あります。
 チグリス川を血とインク(本流し)で二度染めた。


モンケ  1209-1259|位:1251
 チンギスの四男トルイの子で、チンギスから数えて4代目ハーン。
 フレグの上司に当たる。


ミカエル8世  1225-1282|位:1261
 ラテン帝国に奪われていた首都を取り戻しビザンツ帝国を復活させた皇帝。
 交渉術や外交術がすごい。モンゴルとローマ教皇とイスラム王朝と組んじゃう。
 節操など知らぬ。










模範議会


エドワード1世  1239-1307|位:1272
 イングランド王。理解を示すが、反抗されると全能力を以て叩き潰す。
 190pだからロングシャンクスとか、ハンマー・オブ・ザ・スコッツとか呼ばれる。
 ウェールズとスコットランドを頑張って支配したが、試験に出るのは模範議会。


ヘンリー3世  1207-1272|位:1216
 在位が56年でも大したことしてない珍しいイングランド王。敬虔。
 フランス人を重用しすぎて貴族から反乱された。
 ところでオンマウスで出る肖像画が、エド1と区別つかないんだけど…。


シモン・ド・モンフォール  1208-1265
 イングランド王に仕えるレスター伯。ヘンリー3世の妹が嫁。
 議会したすぎてヘンリー3世に反乱し、オクスフォード条項を認めさせた。
 アルビジョワ十字軍に参加したシモン・ド・モンフォールの孫でもある。


ルウェリン・アプ・グリフィズ  1228-1282|位:1258
 プリンス・オブ・ウェールズ、すなわちウェールズ大公。
 ヘンリー3世に臣従していたが、強圧的なエドワード1世を拒み、あえなく戦死。
 高貴な血筋のエレノアと結婚したい。


ジョン・ベイリャル  1249?-1314|位:1292-96
 エドワード1世に建てられた傀儡のスコットランド王。
 耐え切れずフランスと「古い同盟」を結んだところ、ボコられた。
 そしてスクーンの石をエド1に奪われた。


ウィリアム・ウォレス  1270?-1305
 スコットランド独立のため立ち上がった英雄。
 1298年フォルカークの戦いで英軍を破るも、最後は英王に処刑された。
 


ロバート1世  1274-1329|位:1306
 スコットランド王家の血を引く貴族で、イングランドから独立して王となる。
 祖父はジョン・ベイリャルと王位を争い、彼もジョン・カミンと争い殺した。
 破門されたり寝返ったりしたこともあるけれど、無事英雄になれました。










カイドゥの乱


カイドゥ  1230-1301|位:1266
 チンギスの三男オゴタイ(二代目ハーン)の孫。
 クビライの強権が嫌すぎて反抗中。中央アジアを支配してる。
 カイドゥ・ウルスと呼ばれる集合体を作ったけど、結局ドゥアに奪われた。



 クビライ・ハーン  1215-1294|位:1260
 チンギスの四男トルイの三男。
 ハーン争いに勝ち、南宋を倒して中国に元を建てる。
 マルコポーロとかめっちゃ来た。


アリク・ブケ  1219-1264|位:1259
 クビライの弟。兄にモンケ・ハーンとフレグ。
 モンゴルで即位した彼が、中国で即位したクビライとのハーン争いに負けた。
 モンゴルの中央政権はすでに機能せず 各地にモンゴル政権が分立してるってこと。


バラク  ?-1270|位:1266
 チンギスの次男チャガタイのひ孫。
 元々クビライに仕えていたが、チャガタイ家当主になると裏切った。
 かませ犬の見本。


ドゥア  ?-1307|位:1283
 バラクの子。チンギスの次男チャガタイの子孫。
 カイドゥに擁立されたチャガタイ家当主だが、最後に勝ち組になった。
 南下してハルジー朝をびびらせた。










アンカラの戦い


マヌエル2世  1350-1425
 そろそろビザンツ終了時代の皇帝、文人皇帝と呼ばれる文化人。
 彼の活躍はむしろ1402年アンカラの戦い後のオスマン帝国かく乱作戦にあったり。
 


ジギスムント  1368-1437
 ルクセンブルク公でブランデンブルク選帝侯でハンガリー王で神聖ローマ皇帝。
 要するに、この時代の超名門です。 何かやってくれそう。
 十字軍しようぜ、ドラゴン騎士団作ろうぜ、と発言が中二病。


バヤズィト1世  1360-1403
 四代目スルタンで「雷帝」と呼ばれるほどの軍才を持つ。
 1396年ニコポリスの戦いで十字軍を破ったり、ブルガリアを制圧したり。
 でも国内ほっぽらかして、アンカラの戦いで寝返りを出したあたりバカ。


ムラト1世  1326-1389
 チンピラ国家オスマン朝を帝国にしたことで、「帝王」と呼ばれる三代目。
 イェニチェリも作ったよー。
 


ステファン・ラザレヴィチ  1374-1427
 ブルガリアとビザンツを倒し、全盛期を迎えたセルビア王国はムラト1世に負けた。
 そんなわけで彼は「セルビア公」を名乗ってオスマン帝国に臣従した。
 戦争上手で外交上手。


ティムール  1336-1405
 元盗賊が世界の覇者…なんてファンタジー小説?
 よくチンギス・ハンが破壊者ならティムールは建築者と言われます。
 チンギスの血をひいていないので、血をひく者を傀儡の王にした。


イブン・ハルドゥーン  1332-1406
 歴史家で思想家で外交官。 はるるん。
 栄誉を求めて三千里→挫折→地域史の目覚め→考察→歴史学の先達
 










マムルーク朝


バルクーク  ?-1399|位:1382-89,90-99
 チェルケス人を重用した、ブルジー(チェルケス)・マムルーク朝の始祖。
 奴隷商人を敬愛し、奴隷になった父とも再会してる。
 バヤズィト1世に味方し、ティムールに喧嘩を売ることも辞さない。


バルスバイ  ?-1438|位:1422
 ブルジー・マムルーク朝の第9代スルタン。
 ティムール朝やキプロス王国に舐められてたが、殴り返した。
 シャー・ルフに粘着されるがバルスバイも大人げない。


シャー・ルフ  1377-1447|位:1409
 ティムールの四男で、ティムール朝の三代目君主。
 シャトランジ(将棋)大好きなティムールが「王手飛車取り」と名付けた。
 帝国は彼の元で安定期を迎えた。


ウルグ・ベク  1394-1479|位:1477
 天文学をプロフェッショナルしてるティムール朝の君主、ルフの子。
 ティムールの血を引いてるとは思えない。










カルマル同盟


マルグレーテ  1353-1412|位:1397
 カルマル同盟を作ったデンマーク女王…ではなく摂政。でも1世と呼ばれる。
 根回しがうまく、親戚の子供を北欧三国の王に就かせた。
 ノルウェーとの関係は良好。スウェーデンはびみょう。ドイツは嫌い。


ハンザ同盟  12世紀-17世紀
 ドイツの商人が作った町同士の同盟。
 中でもリューベックやブレーメンが有名で、全盛期には加盟都市が200に。



エーリク7世  1382-1459|位:1389
 マルグレーテ摂政の下、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの王となる。
 マルグレーテを柔とすると剛の政策。
 肖像画の顔がうける。


ヴァルデマー4世  1320-1375|位:1340
 マルグレーテの父。彼女を柔とすると剛の政策。
 デンマークを、貨幣が作れる程度には立て直した。



ヴァルデマー1世  1131-1182|位:1157
 混乱を抑えて大王と呼ばれたデンマーク王。
 十字軍中に溺死したことで有名なフリードリヒ1世をリスペクツ。
 反教皇派で、独自にアブサロンを司教に任命し破門された。










李氏朝鮮


李成桂(イソンゲ)(太祖)  1335-1408|位:1392-98
 李氏朝鮮の初代国王。元→高麗に仕えていた。
 軍を出せば全勝という強さだが、威化島で軍を高麗に返して王位簒奪。
 その後 猟奇的な五男 李芳遠に王位を譲って、隙あらば殺そうとした。


恭愍王(コンミンワング)  1330-74|位:1351
 高麗王。李成桂を用いて反元政策を行う。
 元時代は胡服と辮髪を強制されてたけど廃止した。
 美少年好き。


鄭道伝(チョンドジョン)  1342-98
 李成桂の頭脳・鄭道伝。高麗王に左遷されても李成桂が復帰させた。
 李成桂は彼と李芳遠に頼っていた節がある。
 最期は李成桂の八男を支持したため、李芳遠に殺された。


李芳遠(イバンウォン)(太宗)  1367-1422|位:1400-18
 三代目朝鮮王、名君。李成桂の五男。
 李成桂が継母とその嫡子を贔屓するので色々殺した。
 自分を憎んでる父親に平気で近寄るとこがなんか怖い。


世宗  1397-1450|位:1418
 4代目朝鮮の大王。太宗の三男。
 ハングルを作った(訓民正音)り、集賢殿で学問推めたり。
 だいたい非の打ちどころがない。仏教△、儒教◎










靖難の変


永楽帝(成祖)  1360-1424|位:1402
 明の3代目皇帝。中国では珍しく、即位から死ぬまで肉体言語を使う。
 対外政策は派手だがが、文化的には「永楽大典」など編纂事業ばかりした。
 その結果、詰め込み式教育に憤慨した王陽明が、陽明学を始めたんだって。


道衍(どうえん)  1335-1418
 永楽帝を焚きつけた怪僧。
 靖難の変の軍師として活躍し、姚広孝(ようこうこう)という名をもらった。
 故郷に帰った時、知人や家族から「きたねぇ坊主だ」と罵られた。


鄭和  1371-1434
 この世はでっかい宝島だから今こそアドベンチャーした。
 
 


建文帝(恵宗)  1377-1402|位:1398
 明の2代目皇帝。皇位を叔父に奪われた。
 僧として細々と生きていた伝説がある。



方孝孺(ほうこうじゅ)  1357-1402|位:14
 建文帝の文官。
 「九族が十族でも、簒奪者になんか仕えないよ!」
 と意地を張ったので本当に滅十族された。こんな親戚やだ。


洪武帝(太祖)  1328-1398|位:1368
 明の1代目皇帝。姓名は朱元璋(しゅげんしょう)。
 乞食坊主から皇帝までのし上がり、肖像画の改ざんも辞さない。
 功臣の粛清で有名だけど、半分は本人の意志でなく部下が強行しました。










土木の変


エセン・ハーン  ?-1454|位:1439(ハーン:1453)
 オイラート族の長(タイシ)。チンギス一族じゃないのにハーンを名乗る。
 シャイバーニー朝やモグーリスタンを下し、オイラートの最盛期を体現。
 『土木の変』後、于謙に政治的敗北を味わってからはパッとせず殺された。


トクトア・ブハ・ハーン  1416-1453|位:1433
 モンゴル族北元の皇帝。チンギスの孫アリク・ブカの血を引く。
 エセンと組んで活躍したが、エセンの失策より彼から離反し、殺された。
 


正統帝→天順帝(英宗)  1427-1464|位:1435-49,1457
 二回皇帝になったので元号…○○帝が二つあります。
 宦官の王振の言うとおりにしたら、エセンに捕まった。
 エセンとはなぜか仲良し。


景泰帝(代宗)  1428-1457|位:1449-57
 名前すら出さなかったけど英宗の弟。
 1457年帝位を兄に奪い返され暗殺された?
 


于謙(うけん)  1398-1457
 中国、明の兵部尚書…要するに軍部担当。
 英宗が囚われた後、弟を皇帝にし軍制を整えた。
 英宗の身柄を値切りまくったので、彼が復位すると処刑された。


アブル・ハイル  1412-1468|位:1440
 ウズベク族シャイバーニー朝の一代目君主。
 エセンより名君だと思うけど、オイラートとの戦いで殺された。
 










ビザンツ滅亡


メフメト2世  1432-1481|位:1444,51
 オスマン帝国の7代目皇帝。
 ビザンツつぶした。


ムラト2世  1404-1451|位:1421
 オスマン帝国の6代目皇帝。
 スーフィズムがマイブームでメヴレヴィー教団を応援中。
 ビザンツのマヌエル2世は恩人であり、親ビザンツだった。


ヴラド3世  1431-1476|位:1456
 オスマン軍と死闘を繰り広げたワラキア公で、ドラキュラのモデル。
 本来串刺しは庶民にするものなのに貴族に使ったから大ひんしゅく。
 ちなみに串刺し文化はオスマンから学んだよ。


フニャディ・ヤーノシュ  1409-1456
 ハンガリー王ジギスムントに取り立てられた成り上がり貴族。
 ムラト2世からよく国を守った英雄。
 息子のマーチャーシュはハンガリー王となりこっちも大王と呼ばれた。


コンスタンティヌス11世  1405-1453|位:1449
 ビザンツのラストエンペラー。ローマ帝国の本当のおわり。
 降伏を勧められたが、1453年コンスタンティノープルと共に討ち果てた。











レコンキスタ


イサベル1世  1451-1504|位:1474
 カスティーリャ女王。フェルナンドと合わせてスペインのカトリック両王!
 レコンキスタや大航海時代の輝かしい業績を残す。
 彼女の高潔で頑迷な精神は、当時のスペインを象徴していた。


エンリケ4世  1425-1475|位:1454
 イサベルの義兄にしてカスティーリャ王。
 「不吉な力で不能」だったが王妃に女児が生まれてしまう。



フェルナンド2世(フェルナンド5世)  1452-1516|位:1479
 アラゴン王。イサベルと合わせてスペインのカトリック両王!
 イタリア戦争を起こしナポリを奪ったり、色々活躍した。
 父王ほど残酷になれなかったがゆえの策謀家。


ジョアン2世  1455-1495|位:1481
 ポルトガルの黄金時代をもたらした偉大な王。
 派遣した船隊が次王の時代に戻ってきて、業績を横取りされて気の毒。



アレクサンデル6世(ロドリーゴ・ボルジア)  1431-1503|位:1492
 子供は作るわ金使いは荒いわ血を流すわ…俗物教皇の代名詞。
 チェーザレ・ボルジアのお父さん。
 トルデシリャス条約で新大陸をポルトガル領とスペイン領に分けたよ。


コロンブス  1451-1506
 インドを探してアメリカを見つけたよ。
 その残虐さにイサベル女王もドン引き。
 旧約聖書のエズラ記の記述を信じてたのでアメリカをインドと勘違い。










ムガル帝国1


バーブル  1483-1531|位:1526
 初代ムガル帝国皇帝。 ティムールの子孫。
 自伝の随所にメロン食いたいと書いてあって、なんかカワイイ。
 インド嫌いだけどインドに国家を作った。


セリム1世  1470-1520|位:1512
 9代目オスマン帝国スルタン。 「冷酷者(ヤウズ)」と呼ばれる。
 イスマイールを破った。
 オスマン帝国の領土を三倍にした。


イスマイール1世  1487-1524|位:1501
 J.邪悪なほど U.美しい I.イスマイール1世!
 サファヴィー教団を率い、イランにシーア派国家サファヴィー朝を建てた。
 幼少のころから軍才あったが、挫折後はダラダラ過ごしましたよ。


シャイバーニー・ハン  1451-1510|位:1500
 チンギス・ハンの長男ジュチ家の子孫。
 ウズベク族を率いている。
 中央アジアの覇者となったが、イスマイール1世に敗死させられた。


ハーンザーダ  1478-?
 バーブルの姉。 ハーンザーダのハーンはモンゴル君主のハーンに由来。
 バーブルの敗北後、人質としてシャイバーニーの正妻となり一子をもうけた。
 彼女にとってイスマイールは解放者だったのか、夫殺しだったのか。


イブラヒム・ロディー  ?-1526|位:1517
 インドのデリー・スルタン朝のラスト、ロディー朝のスルタン。
 兄弟争いに勝利してスルタンになったが、バーブルに敗死させられた。
 すぐ死んだけど、同盟者の名将ラーナー・サンガはバーブルを苦しめた。










ムガル帝国2


シェール・シャー  1486-1545|位:1540
 ムガル帝国の2代目…じゃないスール朝の初代君主。
 兄弟争い中のフマーユーンから国を奪い、アフガン系王朝を建てた。
 家出×虎狩り×道路オタク×爆死


フマーユーン  1508-1556|位:1530-40,1555
 バーブルの長男、2代目ムガル帝国皇帝。
 シェール・シャーに国を奪われ、15年間ムガル帝国は滅んでた。
 階段から落ちて死亡したけど、アクバルは天才だったので、むしろナイスプレー。


タフマースプ1世  1514-1576|位:1524
 イランのシーア派国家サファヴィー朝2代目君主(シャー)。
 居場所を失ったフマーユーンを歓迎してあげた。
 ちなみにオスマン帝国のスレイマン大帝と戦ったことがある。


ラーナー・サンガ  1484-1527|位:1509
 ラージプート族のラストサムライ。 カリスマ的武将。
 最初はロディー朝に反抗し、次にバーブルのムガル帝国に反抗した。
 「ラージプートの時代」再来かと思われたが、もはや戦士の時代ではなかった。


マフムード・ベガルハ  1458-1511
 インド北西部グジャラートのすごいやつ。
 ひらすら食いまくる。
 


マフムード  971-1030|位:997
 はるか昔の中央アジアのガズナ朝君主(スルタン)。
 インドをいじめるだけいじめて帰って行きました。
 










宗教改革


マルティン・ルター  1483-1546
 プロテスタントの先駆けとなった神学者。
 教会の変なルールはおかしい、聖書を見直そうよ!と主張。
 その無敵ぶりが人気爆発、北欧では国教にもなりました☆


カタリナ・フォン・ボラ  1499-1552
 ルターさんの押しかけ女房。 通称ボラさん。
 不健康なルターさんをすっかり健康にし、長生きさせた。



トマス・ミュンツァー  1489-1525
 1524年にドイツ農民戦争を始めた神学者。
 宗教の革命ではなく、社会の革命(地上の楽園)を目指した結果、
 ルターさんから「狂犬は死ね」って言われて、泣きたくなった。


エラスムス  1467-1536
 あくまでもカトリック内での改革を目指した神学者・人文主義者。
 ルター派と教皇派の両方から協力を求められたけど、どっちも振った。
 中立というよりはコウモリになってしまったのが、不憫。


カルヴァン  1509-1564
 フランスの神学者。『キリスト教綱要』によって、プロテスタント教義が完成。
 彼の「天職に励んだ結果富むのは、悪いことやないで」という主張が、
 資本主義につながっていくことを考えると、ルターさんよりすごいかも。


ツヴィングリ  1484-1531
 スイスの神学者。 プチルター。
 実はかなり過激な人で、カトリックとの戦いで戦死した。



レオ10世  1475-1521
 免罪符(贖宥状)問題で悪人扱いされてるローマ教皇。
 でも彼が芸術家に投資したおかげで、ルネサンスは絶好調だったのよね。



トマス・モア  1477-1535
 イングランドの法律家。 エラスムスとはツーカーの仲。
 敬虔なカトリックだったため、ヘンリー8世と対立し処刑された。
 あと羊が嫌い。『ユートピア』。










オスマン最盛


スレイマン1世  1494-1566|位:1520
 オスマン帝国スルタン(君主)。
 イラン、ロードス島、ハンガリー領を奪い、地中海覇権も確立。
 ムヒッビーっつうPNでロマンチックな詩をいっぱい書いたお!


イブラヒム・パシャ  1493-1536
 元奴隷の小姓頭が、30歳にして大宰相に昇格。
 彼の悲劇は、早すぎた出世が最因ではないでしょうか。
 イスラム一の美男子と言われてた。


ロクセラーナ(ヒュッレム)  1510-1558
 元奴隷がスルタンの正妻にまで昇格。
 性根の悪い女だけど、スレイマンとは幸せだったと思うよ。



バルバロス・ハイレディン  ?-1546
 元海賊がオスマン海軍提督にまで昇格。
 90歳近くで海に乗り出してたとか。



ラヨシュ2世  1506-1526|位:1516
 ハンガリー国王。
 王位についた途端、スレイマンにボコられた。
 おおラヨシュよ はたちでしんでしまうとは なさけない!


フランソワ1世  1494-1547|位:1515
 フランス王。このころのフランスは弱っちくて泣ける。
 カール5世の敵なら、教皇ともオスマンとも結ぶぜ!



カール5世(カルロス1世)  1500-1558|位:1516
 スペイン国王にして神聖ローマ皇帝。ハプスブルク家。
 教科書レベルの大イベントをいくつも経験した。
 「もうやだ…隠居したい…」って言ったらしい。お疲れさま。









―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
オンマウスで表示される肖像はpublic domainですが、すでに無断転載なので無断転載しないでね。