●主な登場人物●

青字は教科書レベル。

ノルマン征服
カノッサの屈辱
第一回十字軍
金朝
第三回十字軍
教皇最盛期
レコンキスタ 上
奴隷王朝
モンゴル
タタールのくびき









ノルマン征服


ウィリアム1世  1027-1087|位:1066
 フランスのノルマンディー公ギヨーム2世で、イングランド王にもなった
 ノルマン人(デーン人)だがフランスとの婚姻は進んでいた
 1066年ヘイスティングズの戦いで英王になったのが試験に出る

マティルダ・オブ・フランダース  1031-1083
 ウィリアム1世の嫁 かなり恋愛脳
 夫の死後、息子の後継者争いが起った


ハロルド2世  1022-1066|位:1066
 最後のアングロ・サクソン王
 ウェセックス伯ゴドウィンの息子で、エドワード懺悔王の義兄
 タペストリーにも好敵手としてかっこよく描かれている


ハーラル3世  1015-1066|位:1046
 突然出て来たノルウェー王
 イングランド王位継承権あったんだ!?
 スタンフォード橋の戦いでハロルド2世に敗れる


エドワード懺悔王  1004?-1066|位:1042
 信仰心に厚いアングロ・サクソン王
 ノルマン人を重用しすぎてサクソン人に不興を買う
 ウェセックス伯と対立したが、最後はその求心力を頼ることに










カノッサの屈辱


グレゴリウス7世  1020-1085|位:1073
 聖職者の妻帯や聖職売買問題に取り組んだ教皇。(グレゴリウス改革)
 教会は内部で改革せねばならず、皇帝権力から独立すべきと主張。
 「独立すべき」がいつの間にか「対立すべき」になってた。


ハインリヒ4世  1050-1106|位:1077
 黒王ハインリヒ3世の息子で、神聖ローマ皇帝。
 ザクセンを押さえ、領地を広げ、グレ7世に破門された恨みも晴らした。
 でも、世界を革命したのはグレ7世の方でしたね。


マティルダ・デ・カノッサ  1046-1115
 8歳でトスカーナ地方の女主人(伯爵)になる
 教皇他聖職者と親交し、ゲルフ(教皇派)となる。



ジークフリート  ?-1081
 マインツ大司教。
 皇帝側だったが教皇側に寝返り、対立皇帝ルドルフを擁立した。



ベルタ  1051-1087
 ハインリヒ4世の妻。
 彼女の死後、夫は政略再婚したけど、子供は作らなかった。



クレメンス3世  1029-1100|位:1080
 ハインリヒ4世が、対立皇帝を真似して作った対立教皇。
 反グレゴリウス改革ゆえに汚職家だとも、そうでもないとも言われている。
 つまり、亀はいい人か悪い人か知らん。


ハインリヒ5世  1086-1125|位:1106
 父皇帝がなかなか王位をくれないので、グレゴリウス派と結託。
 1122年ヴォルムス協約で、聖職者の叙任権を名目上、教皇に譲った。
 (協約後も圧力という形で干渉してたみたい)










第一回十字軍


レイモン4世  1042-1105
 元トゥールーズ伯→十字軍諸侯→死後トリポリ伯。
 正義感があって、義理に厚くて、戦場でも頼れる十字軍のリーダー。
 ビザンツの犬って言うな。 あとボエモン嫌い。


ボエモン1世  1058-1111
 自分のことしか考えてないし、それを悪びれない十字軍諸侯。
 諸侯と兵士に根回しして、アンティオキアを自分の領土にした手腕は中々。
 でも野心が強すぎて、皇帝アレクシオスにメッされて、結局臣下に。


アデマール  ?-1098
 純粋に宗教的理由だけで参加した十字軍のお偉いさん。
 レイモンとボエモンの仲を保ったり、兵士を励ましたり指揮したりした。



隠者ピエール  ?-1115
 みんな!「トキメキ聖地巡礼の旅」しようよ!
 貧しい民衆や熱狂的な兵士に大人気で、彼らを率いて民衆十字軍をした。



ウルバヌス2世  1042-1099|位:1088
 第一回十字軍の演説で有名…てかそれだけと思われがちですが、
 叙任権闘争でも、グレゴリウス派として活躍しました。



アレクシオス1世コムネノス  1048-1118|位:1081
 野蛮なフランクに振り回されてて不憫な気がしてたけど、彼らの宗教的熱意を
 財政力で制御し、セルジューク朝から土地を奪い返した、高性能ビザンツ皇帝。
 こいつの「フランク利用しつくせ」態度から、第四回十字軍フラグを感じます。


クルチ・アルスラン1世  ?-1107|位:1092
 セルジューク朝から独立したルーム・セルジューク朝のスルタン。
 ニカイアを失う、ドリラエウムの戦いで負ける、メルシヴァンの戦いで勝つ。
 ビザンツもシリア・セルジュークもダニシュメンドも、ライバルだけど敵じゃないぜ。










金朝


完顔阿骨打(わんがんあぐだ)  1068-1123|位:1115
 金の初代皇帝。
 建国から契丹人の遼を滅ぼし拡大するまで異常な早さである。
 ちなみにその後耶律大石が西遼(カラキタイ)を立ててる。


熙宗(きそう)  1119-1150|位:1135
 金の三代目皇帝。
 猟奇的すぎたので廃位された。
 


海陵王(かいりょうおう)  1122-1161|位:1150
 金の四代目皇帝。
 猟奇的すぎたのでクーデターが起き、契丹貴族に殺された。
 庶人に落とされたので○宗と呼ばれない。


世宗(せそう)  1123-1189|位:1161
 金の五代目皇帝。烏禄(うる)。大定の治を行った名君…うん名…君…。
 「海陵王は悪人なのでそんな逸話が沢山あるはずです。探し出しましょう」
 立派なひげと胸に北斗七星のあざがある…マンガか!


徽宗(きそう)  1082-1135|位:1100-25
 宋の八代目皇帝。
 皇帝が皇帝より学者・文化人として優れてるとろくな結果にならない例。
 水滸伝の悪役である蔡京(さいけい)は徽宗の部下です。










第三回十字軍


サラディン  1138-1193|位:1169
 ファーティマ朝を倒し、アイユーブ朝を建て、エルサレムを奪還。
 十字軍史のアイドル扱いだが、運とコネの男。
 お人よし。


ヌールッディーン  1118-1174|位:1146
 アレッポとかエデッサとかダマスクス持ってた。
 愛顧してた側近サラディンにエジプトを奪われ、王朝も乗っ取られた。
 肌は浅黒く、長身かつ容姿端麗で、謙虚な聖王。


アル・アーディル  1145-1218|位:1202
 アイユーブ朝の三代目スルタン。
 有能だったけど、あんまり兄、サラディンに信頼されてなかったみたい。



リチャード1世獅子心王  1157-1198|位:1189
 フィリップに唆されて、父からイングランド王位を剥奪。
 戦がやたら上手く、多分不敗だが、政治的に敗北することが多い。
 いわゆるバカ。


フィリップ2世尊厳王  1165-1223|位:1180
 外交感覚すぐれすぎなフランス王。
 リチャードやジョンを手玉にとって、フランスを強国にした。
 いわゆる勝ち組。


フリードリヒ1世赤髭王  1123-1190|位:1152
 リチャード、フィリップと共に十字軍した神聖ローマ皇帝。
 でも着いたとたん溺死した。
 いわゆる出オチ。










教皇最盛期


インノケンティウス3世  1160-1216
 絶頂期のローマ教皇。破門する。第四回十字軍はなかったことにしたい。
 皇帝は月で教皇が太陽、とか言ってたけど、割かし常識人。
 初めオットー4世を支持したが反抗的なので、フリードリヒ2世を擁立した。


ジョン欠地王  1167-1216|位:1199
 フィリップと組んで兄リチャードを裏切ってアンジュー帝国を支配してたら、
 フィリップにボコられ、教皇からも破門された。オットー4世とは友達。
 大陸領を失って、貴族から大憲章(マグナカルタ)を突きつけられる。


オットー4世  1175-1215|位:1209
 ゲルフ(教皇派)の神聖ローマ皇帝。
 フリードリヒ1世の宿敵だったハインリヒ獅子公の子。
 インノケンティウス3世の力で皇帝になったが裏切り、フィリップ2世に負けた。


フィリップ2世尊厳王  1165-1223|位:1180
 外交感覚すぐれすぎなフランス王。
 ブーヴィーヌの戦いの歴史的勝利でフランスを強国にした。
 離婚しようとしてインノケンティウス3世に破門されたこともある。










レコンキスタ 上


アルフォンソ8世  1155-1214|位:1158
 カスティリャ王。イスラム教徒とよく戦った。
 周辺国を従わせるジャイアンだが、十字軍の時は頼れる(映画版)
 娘の子フェルナンド3世がカスティーリャとレオン王国を結びつけた。


アルフォンソ・フェルナンデス  ?-1210
 サンティアゴ騎士団の人。
 歴史的なフェルナンデス氏でなく、騎士団人格として使いました。
 


ヤアクーブ・マンスール  ?-1198|位:1184
 ムワッヒト朝のカリフ(君主)。
 母がキリスト教徒な割に宗教熱心で、タウヒード主義を掲げた。
 アラルコスの戦いでアルフォンソ8世を破った。


サンチョ7世  1154-1234|位:1194
 スペインとフランスの境、ナバラ王。妹ベレンガリアが可愛い。
 スペインに友達少ないけど、ペドロ2世の息子を跡継ぎに指名した。
 聞くところによるとカリフ・ヤアクーブの娘と再婚したとか。


ペドロ2世  1174-1213|位:1196
 スペインの北東、アラゴン王。息子ハイメ1世が有名。
 インノケンティウス3世の求めでナバス・デ・トロサに参戦したが
 アルビジョワ十字軍では反教皇派陣営で戦没した。










奴隷王朝


ムハンマド・ゴーリー  1162-1206|位:1173
 兄からゴール朝の領土ガズナをもらい、インド征服に向かった青年君主。
 本名はムイッズッディーンで 尊称はシハーブッディーンで 通称ムハンマド・ゴーリー
 兄の死後はゴール朝全体のスルタンになった


プリトヴィラージャ3世  1162-1192|位:1177
 映画やアニメにもなってる北インド、チャウハーン朝の王。
 目をつぶっても獲物を射とめることができるらしい。
 第二次タラーインの戦いで、ゴーリーに負けた。


アイバク  1150-1210|位:1206
 インド征服後のゴーリーからインドを任されたテュルク系奴隷
 ゴーリーの死後独立し、アッバース朝カリフからスルタンの称号を得た。
 ここにインド奴隷王朝が始まった


ギヤースッディーン  ?-1203|位:1163
 ゴール朝の一代目スルタンでゴーリーの兄。
 従兄を殺してゴール王になり、アッバース朝カリフからスルタンの称号を得た。
 弟思いを通り越してもはやブラコン。息子より大事!


ジャヤチャンドラ  ?-1194|位:1170
 カナウジの王。実はプリトヴィラージャの従兄弟だったりする。
 第二次タラーインの戦いで援軍を送らず、ゴーリーはインド制圧を成功させた。
 北インドにイスラム王朝が出来た遠因かもしれない。


サンヨギータ  ?-?
 ジャヤチャンドラの娘。
 歴史家たちは彼女とプリトヴィラージャの駆け落ちを信じてません。
 でも有名な伝説なので採用しました。










モンゴル


チンギス・ハン(テムジン)  1162-1227
 説明不要? モンゴル族のハン(首長)となり、アジアを圧巻した。
 冷静で覇権のためなら手段を選ばないが、部下を見る目もある。
 征服地の政治制度をそのまま使い、支配者になった。


ボルテ  1161-?
 チンギスの第一皇后。
 メルキトに拉致された後に長子ジュチを産んだことは、疑惑を呼んだ。
 三男オゴタイがチンギスを継いだ。


四駿四狗  -
 チンギス下の四天王×2。
 四駿…ムカリ、ボオルチュ、チラウン、ボロクル
 四狗…ジェベ、ジェルメ、スブタイ、クビライ


グル・ハン(ジャムカ)  ?-1205
 チンギスの盟友(アンダ)にしてライバル。 モンゴル族の一派。
 人身掌握が下手で策略かく乱が上手という、テンプレにしたい冷血漢。
 


王・ハン(トオリル)  ?-1203
 ケレイト族のハン。 チンギスの父と盟友(アンダ)だった。
 弟や甥に王位を奪われてフリーの遊牧民族して取り戻して奪われての連続。
 チンギスに負けてナイマンに逃亡したが、そこで殺された。


章宗  1168-1208
 中国、女真族が建てた金(きん)の皇帝。
 朝貢大好き! 貢ぐのはこっちだけど!
 王・ハンとチンギスにタタール族討伐依頼を出した。


タヤン・ハン  ?-1204
 ナイマン族のハン。
 逃げてきた王・ハンはナイマン族に殺され、タヤンは首を踏みつけたという。
 これはチンギスの作った偽情報ではないかとも言われています。










タタールのくびき


バトゥ  1207-1256|位:1225
 チンギスの長男ジュチの子。オゴタイ・ハーンに命じられ西征。
 具体的には東欧を攻撃し、ロシアとキプチャク(南ロシア)を支配した。
 三代目のグユク・ハーンとは不仲で、その没後、モンケ・ハーンを推戴した。


ベルケ  ?-1266|位:1257
 兄バトゥの子が早逝したのでキプチャク・ハン国を継いだ。
 イスラム教徒で、マムルーク朝のバイバルスと組んでイル・ハン国のフレグと対立。
 よくネフスキーが反乱を詫びに、首都サライに来る。


モンケ  1209-1259|位:1251
 チンギスの四男トルイの子で、チンギスから数えて4代目ハーン。
 伯父のオゴタイから養子にされるほど気に入られ、後継者候補だった。
 バトゥの上司に当たる。


ドレゲネ  1209-1259|位:1251
 チンギスの三男オゴタイ・ハーンの嫁で、グユク・ハーンの母。
 オゴタイはモンケを後継者に考えていたが、根回ししてグユクを即位させた。


アレクサンドル・ネフスキー  1220-1263|位:1236,52
 36年ノヴゴロド公、48年キエフ大公、52年ウラジーミル大公に。
 スウェーデン・ドイツ騎士団を破った英雄だけど、モンゴルの犬。
 子孫がモスクワ大公になり、イヴァン3世でタタールのくびきを脱した。


ヘンリク2世  1196?ー1241|位:1238
 ピャスト朝ポーランド大公。
 ピャスト家は神聖ローマ皇帝にポーランドを委ねられた諸侯。
 活躍が期待されたけどワールシュタットの戦いに敗れて戦死。


ベーラ4世  1206-1270|位:1235
 アールパード朝ハンガリー王。
 クマン人の協力で王権拡張しようとしたら国民にもクマン人にも嫌われた。
 モンゴルに敗北後に覚醒して、ハンガリーを建て直した。









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