●主な登場人物●

青字は教科書レベル。

啓蒙君主時代
東インド会社
独立戦争
トンブリー朝
近代デンマーク
イタリア統一
清末民初
ユーゴスラビア









啓蒙君主時代


エカチェリーナ2世  1729-1796|位:1762
 領土をあらゆる手を使って広げた、8代目ロシア皇帝。
 失政が見当たらない、私生活以外は完璧な君主。
 啓蒙主義を謳いながらも、楯突く者には容赦ない。


ピョートル3世  1728-1762|位:1762
 7代目ロシア皇帝。
 残ってる肖像が、笑っちゃうぐらい虚弱。



エリザヴェータ  1709-1762|位:1741
 6代目ロシア皇帝。 エカチェを見込んだ…というか手なづけた。
 クーデターで王位を奪った手口はほんと、鮮やかですね。



プガチョフ  1742-1775
 1773年ロシアでプガチョフの乱、受験生は覚えよう。
 「ピョートル3世が農民反乱」って設定は、ご冗談でしょうプガチョフさん。



フリードリヒ2世  1712-1786|位:1740
 3代目プロイセン国王。 軍事マニアで、実際強い。
 父親のヴィルヘルム1世が厳しすぎたので、性格がひん曲がった。


マリア・テレジア  1717-1780|位:1740
 オーストリア大公だけど、実は神聖ローマ皇帝は夫フランツ1世だったりする。
 しかし神ロマ皇帝としての実権を握っていたのは彼女なので、女帝扱い。
 良妻賢母って言われるけど、かーなーりーお騒がせな女だよなぁ。


ムスタファ3世  1717-1774|位:1757
 オスマン帝国26代目スルタン。 苦手なものはエカチェとイェニチェリ。
 幽閉されてたけど跡継ぎが他にいなくなって、40歳でスルタンに。
 科学所設立、災害の救済、戦争回避の尽力など、立派な人やったんですよ。


グスタフ3世  1746-1792|位:1771
 従姉妹のエカチェに勝ったスウェーデン国王。
 ハッタナ党とメッソナ党絡みでゴチャゴチャになってた本国を立て直した名君。
 オペラ座で暗殺という、ドラマティックな死を迎えた。










東インド会社


ロバート・クライヴ  1725-1774
 プラッシーの戦いで勝利し、EICはムガル皇帝からベンガル徴税権を獲得した。
 初代東インド会社総督扱いされてるが厳密には総督にはなってない。
 飽くことなき自殺願望を持つ。


東インド会社  1600-1858
 エリザベス1世のころからイギリスを支えてきた会社。略してEIC。

 


ハイダル・アリー  1720-1782|位:1761
 マイソール王国の将軍。のちにクーデターにより国王になる。
 厳しくいかつい戦士だったが、むしろ外交上手だった。



ティープー・スルタン  1750-1799|位:1782
 ハイダルの子。マイソールの虎と恐れられる王。
 フランスと通じ、軍隊を近代化してEICと戦った。



デュプレックス  1697-1763|位:1782
 フランス東インド会社の軍人。
 クライヴがしたことは、こいつがしようとしたことだったが、
 フランスには理解されず解雇された。










独立戦争


ジョージ・ワシントン  1732-1799|位:1789
 実はあんまり勝てない独立戦争の総司令官。
 戦後は初代大統領に任命された。民主主義者。
 歯が総入れ歯で、痛みをおさえるためアヘン吸ってたらしい。


チャールズ・コーンウォリス  1738-1805
 色々転戦した英軍将校。独立戦争ではヨークタウンでワシントンに降伏。
 インドでは、総督として永世統治法を定めた。
 ナポレオンとアミアンの和約まで結んでて、なんか、狂言回し的な位置。


トマス・ジェファソン  1743-1826|位:1797
 独立宣言を書いて、三代目アメリカ大統領になった。勉強オタク。
 人間は生まれながらにして自由とか言いつつも奴隷は普通に使う。
 コシューシコが贈った毛皮の外套の銅像がオンマウスで出るよ。


トマス・ペイン  1737-1809
 『コモン・センス』でイギリスからの独立を呼びかける。
 アジテーターだけど従軍もするよ。


ラ・ファイエット  1757-1834
 アメリカ独立革命に義勇軍したフランス軍人。
 1789年フランス革命では平民側で人権宣言も起草。
 しかし加熱するフランスではついていけなくて人気も失速した。


コシューシコ  1746-1817
 アメリカ独立革命に義勇軍したポーランド軍人。
 1794年ロシア・プロイセンに対してコシューシコが蜂起、受験生は覚えよう。











トンブリー朝


タークシン  1734-1782|位:1767
 アユタヤ朝の後継、トンブリー朝最初にして最後の王。
 戦争では先陣を率い、中国の清との貿易で国を栄えさせた。
 でも急に悟ったよーなよく分からん狂気にかられて、処刑された。

ラーマ1世(トーン・ドゥワン)  1737-1809|位:1782
 友人だったタークシンを処刑して、トンブリー朝に代わってチャクリ朝を建てた。
 本当はトーン・ドゥワンは幼名なので、大人になってからは使ってません。
 とても優秀な男で、バンコクを中心にタイを強い国にしました。

ボーロマラーチャー3世(エーカタット)  ?-1767|位:1758
 タイのアユタヤ朝最後の王。
 最後の方まで抵抗しましたが、1767年に首都陥落して王朝滅亡。
 ダメなとこもあるけど、誇り高い人です。

ピチャイダープハック  1740-1781
 タークシンに仕えた将軍、特にアユタヤ奪還戦で活躍しました。
 ダープハックとは「刀破り」という意味。
 戦いまくって自分の剣の刃を折りまくったことから名付けられました。

アラウンパヤー  1714-1760 |位:1752
 ビルマ(ミャンマー)がモン人の反乱に押されてるときを狙って
 トゥングー朝を滅ぼし、コンバウン朝を建てた。










近代デンマーク .


クリスチャン7世  1749-1808|位:1766
 統合失調症を患ってて奔放な、デンマーク国王。
 明るいアホにしちゃったけど、本当はどんよりした人です。多分。
 結局こいつが悪いよな。って言ったらデンマーク人が怒る。多分。

J・ベアンストーフ  1712-1772
 とっても有能なドイツ人官吏inデンマーク。
 経済政策(重商主義)や文化興隆、農業危機対策をしました。
 ストルエンセのせいで失脚。

カロリーネ・マティルデ  1751-1775
 ジョージ3世の妹で、クリスチャン7世の王妃で、ストルエンセの愛人。
 夫に自分より娼婦を選ばれたのは、そりゃあ屈辱だっただろうな。


ストルエンセ  1737-1772
 クリスチャン7世に取り入って、思うままに政治したドイツ人官吏。
 彼の政策は啓蒙主義的な、先進的なものでしたが、空気は読めない。
 殺されました。









イタリア統一


マッツィーニ  1805-1872
 統一運動を行う革命家、イタリア統一の三傑。
 青年イタリアを作ってローマ共和国を建てた。
 ちょっと理想家。


ガリバルディ  1807-1882
 ニース出身の軍事家、イタリア統一の三傑。
 両シチリア王国を滅ぼし、サルデーニャ王国に献上した。
 南米で出会った嫁アニータは、イタリアのアマゾネスと呼ばれてる。


カヴール  1810-1861
 サルデーニャ王国の首相、イタリア統一の三傑。
 同盟してたナポレオン3世が戦争やめたり、ガリバルディが暴れたり
 間違いなく一番の苦労人。


ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世  1820-1878|位:1849,61
 49年サルデーニャ国王→イタリア統一→61年イタリア国王。
 カヴールやガリバルディの力で統一されたイタリア王国の初代国王。
 名前が長い。


ピウス9世  1792-1878|位:1846
 自由を謳う司祭だったが、過激な連中のせいで保守派になった。
 ほぼ統一を果たしたイタリア王国軍に、ローマまで占領された。
 自称「バチカンの囚人」


ナポレオン3世(ルイ・ナポレオン)  1808-1873|位:48,52-70
 ナポレオンの甥。フランス皇帝。
 二月革命で大統領に→クーデタで皇帝に→普仏戦争で捕虜に→廃位
 この時代の面白ポイントにだいたい介入してるぞ!


メッテルニヒ  1773-1859
 オーストリア宰相。
 ナポレオン戦争後、ウィーン会議を開いてウィーン体制を整えた。
 三月革命で失脚。










清末民初


袁世凱(えんせいがい)  1859-1916|位:1915
 清末民初の北洋軍閥の軍人。
 孫文と組んで清を滅ぼし、中華民国の臨時大総統になる。
 最後は孫文と対立し、その死後は軍閥政権が乱立した。


李鴻章(りこうしょう)  1823-1901
 清末の軍人。淮軍(わいぐん)という義勇軍を率いた。
 彼自身は西太后に尽くしたが、清末民初の軍閥の先駆けとなった。
 工場を建てて軍人を教育して、わりと好き放題してる。


西太后(せいたいこう)  1835-1908
 清の同治帝の母。幼い皇帝が続いたため実権を握った。
 戊戌の政変や義和団の乱で悪評高いが、悪いのはイギリスじゃね?
 美容には気を使うほう。爪カバーがすごい


光緒帝(こうちょてい)  1875 -1908|位:1875
 清の11代皇帝。
 康有為の変法運動を応援するも、失敗して西太后に権力を奪われる。
 以後監禁され、最後は西太后か袁世凱か誰かに毒殺された。


康有為(こうゆうい)  1858 -1927
 変法運動したかった。
 西太后を殺そうとして逆にクーデターされて失脚。
 弟子の梁啓超(りょうけいちょう)は、胡適・毛沢東に影響を与えたという。


孫文  1866-1925|位:1912,1919-25
 革命家。中華民国の臨時大総統だが、袁世凱に座を譲る。
 失敗を重ねつつ、袁世凱と辛亥革命を成功させ、帝政を終わらせた。
 日本に亡命中、犬養毅が家を世話してくれたよ。


段祺瑞(だんきずい)  1865 -1936
 袁世凱の部下。直隷派の軍閥。
 王士珍・馮国章と合わせて北洋の三バカ…もとい三傑と呼ばれる。


洪秀全(こうしゅうぜん)  1814-1864|位:51
 上帝会を組織し、滅満興漢を掲げ太平天国の乱を起こす。
 神の子、キリストの弟を自称するクリスチャン。
 最後、雑草をマナだと言って食べたりした。










ユーゴスラビア


チトー  1892-1980|位:1943
 本名はヨシップ・ブロズ。
 ロシア共産党→ユーゴ共産党に参加、ww2で抵抗組織を指導し
 ユーゴスラビア連邦の大統領=独裁者となる


ウスタシャ(組織)  1929-1945
 クロアチア人のファシズム政党。親ナチでやや過激。
 恨みを買ってww2後は迫害されたりする。
 ちなみにクロアチアはカトリック教徒が多い。


チェトニク(組織)  1904-1946
 セルビア人によるセルビア人のための民族主義団体。
 ナチと敵対する勇気はないが、ウスタシャは許さんぜ。
 ちなみにセルビアは正教徒が多い。


チャーチル  1874-1965|位:1940-45 , 51-55
 イギリスのがんばり首相。米ソを独にぶつけたい。
 1941年米首相とともに大西洋憲章を発表。戦後の構想を練っていた。
 日本の真珠湾攻撃→アメリカ参戦→やったッ!ww2完!


スターリン  1878-1953|位:1922
 ソ連のこわいおじさん。
 レーニンの死後、共産党で権力を握って敵も味方も粛清した。
 対独戦は人海戦術により勝利。


レーニン  1870-1924|位:1917
 ロシアの革命家。1人でもレーニン
 ロシアの二月革命後 帰国し 四月テーゼを発表。臨時政府と決別した。
 その後いろいろあってソ連を作ったよ。









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